三共製薬田無工場跡地にマックスバリュ、パークウエスト東京ができる以前の風景
本記事は若干アレンジして「熱血!田無新聞第4号」に掲載予定。
過去の写真を整理していて、興味深い写真を見つけた。日付は2003年12月31日、建物が取り壊されて更地になった三共製薬田無工場跡地である。残念ながら工場の建物があった頃の写真は記録していないが、塀の向こう側には殺風景な工場の建物とグランドがあったことを記憶している。
周辺道路は道幅が狭く、車が通るとやや危険な感じであったが、三共工場跡地開発によって、道路の拡幅、歩道の整備がされ、安心して通行できるようになった。
現在は約58,000㎡の広大な工場跡地にマックスバリュ田無店、パークウエスト東京(611戸)、三井不動産戸建住宅ファインコート(65戸)、飯田産業戸建住宅ハートフルタウン(79戸)が建ち並んでいる。
これらの開発により、周囲の様子は一変した。大規模マンションや整然として戸建住宅の街並みもさることながら、ヤングファミリーの流入により街が活気付いたように見える。三共跡地の周囲では、これらのすぐ北の農地跡にサンクレイドル西東京ウインフォート(153戸)、府中道を挟んだ南町三共社宅跡地にはルネサンスフォート田無南町(106戸)がほぼ時期を同じにして完成している。
さて、三共跡地の開発により、街はどう変わったか?まずマックスバリュの開店により、近隣から車で買い物に来る人々の流入である。マックスバリュのすぐ北にはいなげやがあり、以前から車で買い物に来る人々がいたが、広い駐車場と店舗を持つマックスバリュは更に多くの人々を近隣地域から惹きつけているように見える。渋滞を心配したが、それほど大きな問題にはなっていない。次に人口の増加であるが、こちらは周辺の小学校で教室が足りなくなるなどの影響が出ているそうである。パークウエスト東京のインパクトはとても大きい。パークウエスト東京の完成前後で芝久保町一丁目の人口は大きく動いているのである。パークウエスト東京への住人の引越しは2006年3月より始まったが、芝久保町一丁目の人口は3月1日(3569人)から5月1日(5633人)と2064人も増加し、増加率は57.8%であった。この人口の増加が西東京市全体に与えたインパクトは芝久保町一丁目の人口比で3月1日の1.9%から2.9%への急増となっている。
現在、石川島播磨重工業跡地では更に規模の大きな開発がされているところである。今後どのように街が変化していくのか、しっかりと注視していきたい。
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